清代からの数々の扇面書画名作をはじめ、近現代の日中の画家・書家たちによる扇面書画作品が一堂に会した「扇面書画の世界」
王子江 オウシコウ z-01
1958年北京生まれ、中国芸術研究院訪問学者·日本100 m水墨障壁画創設者·日本水墨芸術協会会長·日本國際文化芸術教育協會高級顧問·北京美術家協会会員·日本美術家連盟会員·日本NHKテレビ水墨画講師·日本宝塚大学東京メディア美術学部水墨画講師。
楊永琚 ヨウエイキョウ(1946~)z-02
中国美術家協会会員、王雪涛先生を師とし、作品の多くが全国美術展に入選(《广西美術作品展》一等賞)、また、日本を拠点に世界各地で個展及び団体展を行い、国際芸術功労賞、日本内閣総理大臣賞等数々の賞を受賞している。
李文培 リブンパイ z-03
1964年 中央戯劇学院卒業,国家京劇院に美術監督として40年以上従事。役者の内面を絵画に反映し、「新中国国粋」芸術と世界的評価をうける。国家一級美術家,中華人民共和国文化庁一等賞受賞,北京オリンピック国際美術展入選,雪舟国際美術協会展審査員特別賞受賞。
周麗霞 シュレイカ z-04
日中国際美術協会副会長、日中書画院副理事長、海外王雪濤研究会秘書長です。
何 鳴 カミン(1944~) z-05
号・師竹、年中国南京出身。中国画花鳥画家、並びに美術教育家でもある。香港「集古斎」、南京「十竹斎」、上海「朶雲軒」及び日本、韓国、アメリカ等で画展を開催した。過去に中国名家展示会最優秀賞、江蘇省写意花鳥画優秀賞を受賞している。著書《中国画自習入門》、《中国花鳥画技法》等。
丹羽弘一 z-06
日本篆刻家協会会員、全日本華人印社常務理事、全日本書道家協会常務理事。
馬景泉 バケイスイ: z-07
1959年生まれ。中国黒竜江省出身。中国篆刻芸術院名誉院長韓天衡に師事し、現在は中国書法家協会の会員となり。 日本では全日本華人書法家協会副主席、 全日本華人印社副社長、楽得印社長。
何 為 カイ(現代)z-08
幼少期から画家の父のもとで絵画を学んだとされる。1998年南京師範大学美術学院を卒業、同年に来日。日中書画交流協会展覧運営委員、日本東京東宝芸術サロンメンバー。また、アメリカ、オーストラリア等での海外交流展で入選した作品が多数存在する。
韋丹意 イタンイ(現代)z-09
広西省東蘭人、壮民族、1988年広西省芸術学院美術部中国画専攻を卒業、中国美術家協会の会員、桂林書画院に所属する画家。
李冰奇 リビンキ(1947~) z-10
劉勃舒、許麟廬を師事していた。指墨花鳥画が優れ、質朴秀麗であり、筆墨は流暢かつ力強いことから、中国全国指画大会金賞を受賞。また、1987年からは中国画研究院院外画家並びに中国指画書画学会会長となった。
劉 銘 リュウメイ(1964~) z-11
陝西省の出身。西安美術学院中国画部を卒業、中央美術学院国画部修士課程を修了。中国美術家協会の会員、国家一級美術師。作品は多くの国々で展示され、博物館、美術館等に収蔵されている。著書《劉銘-人物画精選》、《劉銘画集》、《当代実力画家·劉銘》等。
黄三枝 コウサンシ1959~) z-12
南京書画院特任画家、中国美術家協会聯誼中心の理事。北京を拠点として国内・海外を廻り、高名な芸術家と交流を重ねた。
林暉, z-13
中國の浙江省に生まれ。書道において、中国の国内外に何回も展示され、受賞、そして作品が中国に発行されている切手やテレホンカードに使われている。中国の国家の文化輸出重要なプロジェクト西泠印社の駐日代表、そして中国代表的、且つトップ芸術団体である西泠印社出版社首席海外学術顧問を務める
毛国倫 モウコクリン(1944~) 14
上海で生まれ、元籍は浙江省奉化、幼い頃から絵画、習字を好み、程十發を師としていた。1991年上海中国画院創作研究室で主任を担当、1992年、国家一級美術師と認定されている。画風は写意性と写実性の間に自由性、禅宗等の文化を取り入れ、さらなる水墨の調整により、自然の情緒を溢れさせていた。
呉玉梅 ゴギョクバイ(1940~) 15
上海松江出身、唐雲を師事、上海中国画院画師、国家一級美術師、中国美術家協会会員、上海文史研究館館員、中央文史研究館書画院書画研究員を歴任。
胡若思 ゴジャクシ(1916~2004) 16
字・遐思、号・琴人、画室名勰一斎。9歳の時、名門「大風堂」にはいり、張大千を師事する。14歳の時、師とともに日本に渡り、個展を開き、清雅な文人画として人気を博した。
樊浩霖ファンコウリン(1885-1962)、17
字は少雲、出身地は上海市崇明。 幼少期から父・子雲に絵を習い、早くから西洋画を、後に陸恢について山水画を学ぶ。蘇州美術学院の元教授。昆曲にも秀で、琵琶を演奏する。上海中国画院画家、中国美術家協会・上海支部会員。 山水画では石濤の影響を受け、雲や霞、柳など江南の風景を得意とする。
楊善深ヨウセンシン(1913-)、18
漢民族、広東省台山出身。広東省赤渓に生まれ、12歳で古画の模写を始め、17歳で香港に渡り、20歳で中国画の制作を始め、21歳のとき広州で初の個展を開催した。22歳で東京都の堂本美術学校に留学、25歳で帰国。1940年、個展を開くため南洋に渡り、シンガポールで徐悲鴻と出会い、多くの絵画の共同制作を行った。 同年、ソ連で開催された中国美術展に作品が入選し、中国文化協会の会員となる。
顧青瑶コセイヨウ(1896-1978) 19
女流書家・篆刻家。名は申で青瑶は字。霊妹とも。蘇州出身で、金門の西石英鍾子街に住んだ。曾祖父椒園は書を優れ、祖父若波は書画をよくした、清末の名家の出身。父の敬斎は米国に留学し、帰国後20年以上教鞭をとった。
慕凌飛マクリンヒ(1913-1997)、 20
名は倩で、凌飛は字。山東省煙台市竜口市生まれ。16歳のときに上海で張善孖、張大千に師事、大風堂に入門。内弟子として4年にわたる指導を受け、大風堂のコレクションを直接目にし、歴代の名人の真跡を模写する。その筆致は繊細かつ明快で、現代中国絵画の巨匠と呼ばれる。
李沛霖 リペイィン(1890-1956)、 23
広西チワン族自治区蒼梧出身。国民党少将、書にも精通。
朱梅邨シュバイソン(1911-1993)、 21
江蘇省呉県出身。13歳のときに叔父の呉湖帆に師事して絵を描き始め、19歳で絵が売れ始める。 葉恭綽・呉湖帆・張大千・馮超然らと「正社画会」を創立。 1930年代、ロンドンで開催された故宮博物院の展覧会で、呉湖帆の推薦により保管係となり、名画の真跡を観察する機会を得る。1949年、上海中国画院の画家となる。
羅貫蘭、ラカンァン 22
字は沢仙。民国時代の画家で、奇石や竹林の絵をよくする。
溥心畬 プシンヨ(1896~1963) 24
満族、本名愛新覚羅·溥儒、字・心畬、号・羲皇上人、西山逸士等。北京出身、著名書画家、收藏家、。ドイツに留学経験があり、詩、書、画ともに優れ、山水、花卉をよく描き、特に人物を得意とすることから「南張北溥」と評された。
潘 錦 ハンキン(清) 25
字・昼堂。号・醉烟道人、江蘇省無錫出身。詩、書、絵画に何れも優れていた。伝統を守りながらも、独自の表現方法を加えていることで評判であった。
丁仁 テイジン(1879~1949) 26
名は仁、字は輔之、鶴廬と号した、杭州の名家に生まれた。文物・古籍・印譜・印章・書画を好んで蒐集する名門の家系で、書画、篆刻に長け、甲骨文字の研究や活字「倣宋聚珍体」の創出などで近代の中国芸術界に大きな影響を与えた。また、篆刻の学術団体「西泠印社」を創設した一人。
倪 田 ニデン(1855 ~1919) 27
字・墨畊、号・墨道人等、江蘇省江都出身。花鳥画はあでやかかつ色彩も豊富で、独特な趣がある作品として人気を博している。
潘振镛 ハンシンヨウ(1852~1921 ) 28
字を承伯、号亜笙、また号を雅声 。父親が亡くなった後、困窮生活に迫り、ある商店で勤務しながら、銭塘名画家戴以恒を師として、じっくり腰を据え読書に耽り、詩書画印の製作に没頭し、精緻な花鳥、人物画を見出していた。
鄧啓昌 テイケイショウ( 清) 29
清時代の画家、字・鉄仙、号・跛道人、江宁(今南京)出身。花鳥が得意とし、特に菊の絵画に優れていた。銭慧安、倪田等高名な画家と同時代で活躍した。
胡公寿 ゴコウジュウ(1823-1886) 30
初名は遠、号は痩鶴・小樵、別号は横雲山民。華亭(現在の上海市松江)出身、清朝末期の書家・画家。その書は平野と北海の間を行き来するユニークなもの。詩は少陵を基にしており、明晰質朴である。 海上画派を代表する画家の一人。作品に「桂樹図」「香満蒲塘図」など。
李 育 リイク(1843~?) 31
字梅生、甘泉人(今江蘇省揚州)。朱本を師とした。人物、花鳥に優れ、各流派の長所を取り入れ、新しい流暢な画風を確立した。
王維翰 オウイカン(民国) 32
王維翰は山水、花鳥、人物ともに優れていた。かつて大勢の画家たちと交流を深め、他人の長所を汲むことで独自の画風を確立させたという。
王同愈 オウドウユ(1856-1941)、 33
字は文若、号は勝之。江蘇省元和出身。清末から民国期の著名な学者・蔵書家・書家・文物鑑定家である。清朝の光緒十五年(1889)、科挙に合格して進士となった。
張樹人、チョウジュウジン 34
清朝の書家・画家。字は牧園、号は南徐酔翁。江蘇省鎮江出身。詩・書法ともに優れる。
徐小隠、ジョウショウイン(1905-1949)、35
名は華、浙江省嘉興市新塍出身。南田に倣って特に花鳥画を得意とし、人物や山水画にも優れる。
許栄勲 キョエイグン 36
浙江省紹興出身、杭州に住む。清の光緒年間の科挙受験生。絵画・書法ともに優れ、鑑賞の達人でもあった。
何 煜 カケンホク(1852~1928) 37
字・研北、上海の画家、胡公寿(胡遠)、任颐(任伯年)を師事し、花鳥画山水画に優れていた。60年間、師の技法を守りながらも画風は柔軟に変化させ続けたという。
顧麟士 コレイシ(1865~1930) 38
名を麟士、字・鶴逸、号・西津漁父、别署西津、江蘇省蘇州出身。 清末著名書画收藏家、顧子山の孫。山水画を得意とし、鑑識に精通していた。清新な山水画を描くことで評価が高い.
鄭慕康 テッムコウ(1901~1982) 39
字・師元、号・慕康、広東省潮陽出身。上海美術専門学校で主に肖像画を学び、馮超然を師事して、明時代の絵画染法を入念に学んだという。西洋画の明暗法、透視法と伝統人物の笔法を融合し、優雅清楚な仕女の姿を完成させたとされる。
陳陶遺 チントウイ(1881—1946), 40
名に公瑶,号は道一,江蘇省松江府金山県(今上海市金山区)人。光绪二十七年(1901年)秀才号を取り,松隐に教職、書が得意。
朱文侯 シュブンコウ(1895~1961) 41
花鳥画は北宋の双勾技法から踏み入れ、新羅筆法を取り入れることで清和な風格を成している。写意においても獅、虎、猴、鹿等動物に精通し、上海中国画院画師でもあった。
諸健秋 ショケンシュウ(1891~) 42
名鵠 、一宇若侯、江蘇省無錫市出身。幼い頃に画家であった父から絵画の技法を学んだという。1935年「雲林書画社」を設立した際、副社長に就き、呉観岱氏を師事し始めると画風が変わり始め、宋元を学んだ入念な筆法のものから、海上派らしい荒い筆致のものまで多様な表現をするようになった。
袁松年、エンショウネン 44
別名袁十、字は鶴文。広東省番禺(現在の広州市番禺区)に生まれ、上海の聖ヨハネ大学で西洋画を学び、中国画を変革した。後に西洋画をやめ、中国画に専念。 また、「中国画の合理化」を提唱し、西洋の画法で中国画を革新する試みも多く行った。 解放後、上海中国画院で画家となり、中国美術家協会上海支部の会員となった。
徐行敏 ジョウギョウミン(1871-1932)、45
字は季麟、号は納甫・逸庵。江蘇省呉県の出身で、山水画をよくした。書は高之に似ており、山水画は大痴に学んだ。
陳 摩 チンマ(1886~1945) 46
字・迦庵、号・迦藍陀、江蘇省常熟出身。名人陸恢(廉夫)を師としていた。山水画、人物画、花鳥動物画いずれも優れ、特に鳥は画面に収まりきらない程の美しい羽の細やかさを独自の筆使いで仕上げている。
朱 齢 シュレイ(1821~1850) 47
字・菊坨、号・黄華道人、江蘇省上元(今南京)出身。徐渭、石涛、唐寅を敬慕し、作品は風格清和、俊逸淡雅と評され、伝統の風を吹く。
倪 耘 ニウン(?~1864) 48
字・芥孫、号・小圃、石門人。幼年期は家庭内で書画を学んでいた。花鳥、山水画いずれも優れていて、洗練された筆使いと趣のある独特な画風は評価が高い。
任 熊 ニンユウ(1823~1857) 49
字・渭長、号・不舍、浙江省蕭山出身。清代晚期で著名な画家で、「海派」の芸術的代表の一人であった。人物、花鳥、山水、いずれも優れていた。
任 熏 ニンシュン(1835~1893) 50
字・舜琴。号・阜長。画家の家元。青年期は画を売ることで生計を立てていた。1868年任頤とともに蘇州に移ったという。もともと山水画を得意としたが、陳洪綬に学んで人物画をも得意とするようになる。特に山々に萌える樹や葉っぱの絵は生命力の強さとその寛大さが伝わってくる。
張 熊 チョウユウ(1803~1886) 51
清代後期の画家。浙江省秀水出身。字・子祥。号・鴛湖外史。山水・人物画をのみならず、特に鮮麗な色彩の花卉画に優れた。蘇杭・上海で流行した鴛湖派と称される画風を確立した。また、書は隷書に優れ、詩詞をよくした他、金石・書画の収蔵でも知られた。
王学浩 オウガクコウ(1754~1832) 52
字・孟养、号・椒畦、江蘇省昆山出身。清時代の名画家王原祁を敬慕、書のみならず山水の構図と筆使いが非常に優れていて、特に《山南論画》は後世に多大な影響を与えたとされる。
王 素 オウソ(1794~1877) 53
字・小梅、晚号・遜之、江蘇省甘泉(今楊州)出身。幼い頃から鮑芥田、華岩を慕い、人物、花鳥、動物いずれも優れていたとされる。
王 禮 オウレイ(1813~1879) 54
江蘇省呉江出身、幼い頃から筆墨を好み、花鳥画を沈石芗に学び、描かれた作品は清新雄健・質朴秀麗である。また、人物画は陳洪绶に学び、当時高名な画家張熊に称賛され、上海のあたりに知れ渡ったという。同治十三年(1874)描かれた「梅花喜雀図」は日本に収蔵されている。
呉熙載 ゴシサイ(1799~1870) 55
字・熙載、譲之、攘之、号・譲翁、晚学居士、方竹丈人等。江蘇省儀征出身。清時代の篆刻家、書法家、名人包世臣の入門弟子であったという。書画に優れ、特に篆刻に長けていた。鄭石如氏の印法を敬慕し、自分の文人的な資質を加えることで、「鄭派」篆刻芸術を発展させたことによる後世への影響は大きい。
周 閑 シュウカン(1820~1875) 56
字・存伯、一字小园、号・范湖居士、浙江省秀水(今嘉兴)の出身、晚清著名な詩人、篆刻家、海上画派の名人。花卉蔬果に優れ、惲寿平、李鱓等を師として、任熊の画風を慕い、俊逸淡雅、質朴秀麗な独自の画風を生み出し、呉昌碩とは師友となって親しく交わった。
刘德六 リュウトクロク(1806~1875) 57
字・子和、江蘇省呉江出身。夏之鼎を師として、花卉等を学び、鮮麗かつ色彩な独自の画風を生み出した。名所垂虹亭畔紅梨花館に住い、各種の花卉の表現が堪能であることから、花鳥の扇面絵は特に著名である。
胡鉄梅 ゴテツバイ(1848~1899) 58
字・鉄梅、安徽省桐城出身。当時の画家王冶梅氏と並ぶ梅の絵が特に著名であり、「梅花高士図」等の名作を後代に残している
朱 偁 シュショ(1826~1900) 59
字・夢廬。号・覚未、覚未生、胥山樵叟等。浙江省永嘉出身。王禮を師とした後に独自の道を歩み、清新な画風を生み出した。画家の任伯年も彼の影響を受けたとされている。また、花鳥画が優れていて、中国近代六十人名画家の一人でもある。
沙 馥 サフリ(1831~1900)60
字・山春、号・粟庵、または香泾外史、江蘇省蘇州出身、晚清画家。絵画の家元、馬仙根を師として、人物、仕女、花鳥いずれも優れていた。作品には自然の情緒を溢れさせるような表現が見られる。
陳崇光 チンソコウ(1838~1896) 61
原名は召、字・崇光、太平天国革命に参加し、天京(今南京)で壁画を制作した。その後、揚州に戻り、宋元名家の作品を実見し芸術的な視野を広げた。
費以耕 フィイコウ( -1870)、 62
清朝の画家。字は餘伯、烏程(現在の浙江省呉興市)出身。清朝の画家費丹旭の長男。家族の画風を受け継ぎ、女性や花鳥などを静謐に描く。同治9年(1870)に張鳴珂の肖像画を、耳をそばだてて琴を聞く姿として描き、傍らには膝に琴を乗せて弾く少女を配した。張熊と親交があり、「梅月嫦娥扇面」を共同制作している。
潘恭寿ファンコウジュウ(1741-1794) 63
丹徒(現在の江蘇省鎮江市)出身。字は慎夫、号は握篔・蓮巣。中年になって仏教に帰依し、法号は達蓮。詩をよくし、絵画作品にも詩情が豊かである。山水画は董其昌に学び、優雅かつ豊かで、実に美しい。
朱文新 シュブンシン(1761~1819) 64
弟の朱本と友人の朱鶴年で長安三朱と称されていた。仕女は唐寅を師とし、山水画、花鳥画にも優れていた。嘉慶十四年(1809)に描かれた「詩龛図」は現在日本に収蔵されている。動物、草虫、墨梅、竹石等を多く題材にしつつ、伝統に固執しない大胆な描写を得意としていた。著書《墨林今話》、《畊硯田斎笔記》、《揚州画苑録》等
滝沢虚往、 j-1
91歳、群馬県出身。群馬県書道展審査会員、玄遠書道会主催、中国南京江蘇紫金書学院名誉院長、中国西安書道学会名誉理事。平成30年に高崎都市美術館で米寿を記念する個展が開かれ、自分の大作を展示し、力強くて上品な作風が多くの人に感動を与えました。令和2年度高崎市文化賞を受賞した
天田研石、j-2
1931年生まれ、91歳。群馬県高崎市下滝町出身。群馬県書道協会会長を歴任し、現在は群馬県書道展展覧会委員顧問、高崎市民美術展覧会参加、研心会会長を務めています。平成26度高崎市文化賞を受賞した。1951年に書道の道に入った。昭和30年から金沢子卿(于右任先生の弟子)に師事し、書道の研究をしながら後進を指導した。
髙橋維周、j-3
1958年11月10日藤岡生まれ、高崎書道会常任理事・審査員、于右は国際書道研究会副会長、江蘇柴金標準草書研究院副院長、日中書画院会員です。
滝沢虚往、 j-4
91歳、群馬県出身。群馬県書道展審査会員、玄遠書道会主催、中国南京江蘇紫金書学院名誉院長、中国西安書道学会名誉理事。平成30年に高崎都市美術館で米寿を記念する個展が開かれ、自分の大作を展示し、力強くて上品な作風が多くの人に感動を与えました。令和2年度高崎市文化賞を受賞した
楊永琚 ヨウエイキョウ(1946~)
中国美術家協会会員、王雪涛先生を師とし、作品の多くが全国美術展に入選(《广西美術作品展》一等賞)、また、日本を拠点に世界各地で個展及び団体展を行い、国際芸術功労賞、日本内閣総理大臣賞等数々の賞を受賞している。
藤﨑千雲(ふじさきせんうん) j-5
全日本水墨作家連同人,千墨会会長,日美展水墨画部門審査員
著作 : 水墨画「山水を描く」他....
収蔵 : 辰野美術館(長野県)、宮城県白石市、佛光縁美術館の他
受賞 : 文部大臣賞・外務大臣賞・経済産業大臣賞・東京都知事賞他多数。扇面画題「竜頭の滝」など
小林東雲 j-6
2012年 文部科学大臣賞、2014年 国指定重要文化財「大本山善導寺 上段の間」に水墨障壁画の依頼を受け落成。2017年 内閣総理大臣賞受賞。2022年 公開の映画「線は、僕を描く」にて水墨画監修を務める。国際墨友会 会長・「国際公募展 美は国境を越えて」主催・日本水墨画美術協会 副理事長・全国公募日美展 委嘱審査員・サロン・ブラン美術協会 顧問。
幕田魁心 j-7
1947年 福岡県北九州市に生まれる、師・安藤搨石、大東文化大学中国文学科卒業、千葉大学非常勤講師。
〈叙勲〉フランス社会功労月桂冠奨励勲章勲二等受章
〈著述〉37冊 『極める!創作への道シリーズ』巻十二冊・『一期一会』・『一字書~五字書』他
〈個展〉31回 北京・ニューヨーク・パリ日本文化会館2回・鳩居堂画廊 等
中山光晨 j-8
1967年 千葉県富津市に生まれる。幕田魁心先生に師事、大東文化大学日本文学科卒業。中国上海市に1年半留学。個展5回(鳩居堂画廊 他)仏国・芸術奨励章受章。
〈著述〉高等学校教科書執筆
〈現在〉千葉県立木更津高等学校教諭
結城素明 j-9
略歴:、芸術院会員、東美卒・教授、
金鈴社創立、師玉章、兼洋画、没年昭和32年、享年82歳。
矢野鐡山 j-10
本名民雄。明治27年2月5日愛媛県県今治市に生れ、18歳の年上京し小室翠雲に師事した。24歳で大阪に移住し、大阪美術学校に入学、またこの年第2回帝展に「春靄・松壑」(対幅)が初入選している。翌大正10年日本南画院に「穣媚・霜晨」を出品、1等となり同人に推され、以後16年間同人として出品した。46年新しい水墨画の発展に尽くした功績によって、紫綬褒章を受章した。
橋本明治 j-11
略歴:文化勲章、芸術院会員、日展顧、
師映丘、東美、文化財模写、人物、島根、没年平成3年、享年86歳。
森寛斎 (1814―1894)j-12
幕末から明治の日本画家。長州藩士石田伝内の三男として萩(はぎ)(山口県)に生まれる。名は公粛、字(あざな)は子容。22歳で大坂に出、円山(まるやま)派の森徹山(てつざん)に師事し、25歳のとき徹山に認められてその養子となり、森姓を継いだ。維新後に多くの博覧会や共進会で名声を高め、塩川文麟(ぶんりん)の没後は、京都画壇の中心として如雲社を主宰した。江戸時代の円山派の写生画法を明治に伝えるとともに、それに文人画の情趣的感覚を加えた作風を特色とする。
渡辺秋渓 1866~1940 j-13
名古屋に生まれる。初め、奥村石蘭に、のち久保田米僊に学ぶ。京都府立画学校教授を務める。四条派の画家。
日比野圭文: j-14
明治22年生。日比野白圭の子。父に土佐派を学ぶ。名古屋東区桜町に住んでいた。
安西啓明(アンザイ ケイメイ) j-15
大正・昭和期の日本画家 元日本美術家連盟理事。
生年 明治38(1905)年4月、没年 平成11(1999)年1月、生地 東京都八王子市、本名 安西正男、大正8年広瀬東畝、10年川端龍子に師事。15年日本美術院展初入選。戦後国土の荒廃に驚き、美しい自然を描き残そうと全国をスケッチして歩いた。
伊東 深水(いとう しんすい)1898年(明治31年) - 1972年(昭和47年)日本画家、浮世絵師、版画家。14歳のときに 鏑木清方 に入門し、「深水」の号を与えられる。17歳で文展に入選した後は、帝展や新文展・日展などの官展を中心に美人画を発表した。その画風は浮世絵 美人画 の伝統を継承するものでありながら、女性を健康的にさっぱりと明るく描く、独自のものである。
気に入られる作品がありましたら、遠慮なく「アジア芸術文化協会」へお問い合わせください。
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